研究テーマの内容、研究活動
江戸時代の浄土真宗を対象に、僧侶の教化活動について研究しています。当時は録音機器がありませんので、僧侶が法話の席で話した内容は、弟子などがその場で速記し、清書して記録として残されました。この記録を講録と呼びます。講録は、僧侶間の貸借や、僧侶が筆写したものを信者にプレゼントするなど、写本のかたちで各地に伝播しました。
江戸時代の仏教はかつて、江戸幕府のキリシタン禁制により、すべての人々が檀那寺に所属した結果、支配機構の末端となった寺院が形式化し、僧侶は堕落した、というイメージで語られていました。しかし、史料の発掘や読み直しにより、江戸時代は仏教と民衆との距離が密接になった時代として把握され、僧侶の活動の実態にも関心が向けられています。
講録を読むと、仏教経典や宗祖等の言葉だけでなく、例え話なども交えながら、当時の僧侶が民衆に向けて平易に仏教の教えを説いていたことがよくわかります。当時の民衆がどのようなことを考えていたのかを探るのは、被支配者側も多くの史料を作成できるようになった江戸時代であっても難しいのですが、講録に載っている僧侶の語りを通じて、民衆の信仰のありかたを間接的に分析することも可能であると考えています。
研究テーマの意義・面白さ
学部生のときに参加した史料調査で、古文書のなかに漢字とカタカナで書かれた写本がいくつも出てきたことがありました。話者(法話をした僧侶)の名前が表紙などに記載されていたので、どういう人物か調べてみたところ、江戸時代後期に東本願寺の学寮講師(講師は大学の学長のようなポスト)をつとめた香月院深励(こうがついんじんれい)であることがわかりました。彼が訪れていない地にも、語った内容が写本で伝わっているという事実に、大変面白さを感じたことを覚えています。
また、講録には、学寮での講義を筆録したものも存在します。今でいう、大学の授業ノートです。それを読むと、当時の僧侶の学びを探ることが可能となります。学寮で勉強した僧侶は、全国各地のお寺から上京した人たちで、彼等は学寮での学びを自坊に持ち帰り、勉学や教化に生かしていました。
一方で、現在の学問でもさまざまな学説が生み出されるように、江戸時代の学問も多様な学説が登場し、仏教も例外ではありませんでした。経典解釈の「正しさ」をめぐって対立が発生し、それが地域社会に持ち込まれることも時にありました。教義の真正性の担保と、解釈の多様性にどう折り合いをつけるかは江戸時代の仏教教団が抱き続けた課題でしたが、この点は現代宗教にもある程度共通する問題であるのかもしれません。