研究テーマの内容、研究活動
私が専門とする16〜17世紀のオスマン帝国は、西はハプスブルク帝国、東はイランのサファヴィー朝と接し、その領土は最大でバルカンからアナトリア、コーカサス、黒海北岸、アラビア半島、北アフリカまで広がりました。これらの土地にはイスラーム教徒のみならずユダヤ教徒やキリスト教徒も数多く居住しており、オスマン帝国の領土が宗教的にも民族的にも多様な地域を内包していたことがわかります。
オスマン帝国は多様なものを一つのシステムの中にまとめ統一していく国家でした。このような特徴を持つオスマン帝国の支配体制について、アジア側の辺境であったアナトリア南東部(現在のトルコ南東部。イラン、イラク、シリアに隣接する地域)を対象に、オスマン語の文書史料を利用して研究をしてきました。
具体的には、新たな征服地(アナトリア南東部)の旧支配層(クルド系地方領主)がオスマン帝国の支配層として統合される過程とそれに伴う社会の変化について、①クルド系地方領主の領地のオスマン帝国の地方行政組織への編入、②アナトリア南東部におけるティマール(知行)制の導入、③クルド系地方領主が率いたクルド系部族連合の内部構造、④アナトリア南東部の人口構成といった点から分析しました。
近年は、アナトリア南東部が東西および南北を結ぶ複数の交易ルートを内包し、人やモノが行き交うひらかれた地域であったことに着目し、同地域を中心とする経済活動についても研究を進めています。
研究テーマの意義・面白さ
日本では珍しい研究テーマを選んだのは、16世紀末にペルシア語で著された『シャラフナーメ』というクルド史の存在を知ったことがきっかけでした。『シャラフナーメ』には歴代のクルド系王朝と当時48ほどあったクルド系地方領主の一族の歴史が記されていますが、このような総合的なクルド史は他には伝わっていないし、地方史がほとんどないオスマン帝国においても珍しい史料であるといえます。
『シャラフナーメ』と出会ってから現在までアナトリア南東部の主にクルド系地方領主が治めた地域の歴史の解明に邁進してきました。長く研究を続けることができた理由は、上記の史料との出会いも大きいですが、それに加えて、一生かけても読みきれないほどの文書史料をオスマン帝国が遺したこと、そしてさまざまな理由によりアナトリア南東部の歴史には空白が多いことがあげられます(=やりがいがある)。
もともと旅をするのが好きで、かつてオスマン帝国の領土だった土地もかなり歩きました。史料から想像できる往時の景色や人びとの生活に思いを馳せつつ、それぞれの土地の今を目に焼きつけています。