研究テーマの内容、研究活動
信仰と理性の関係を明らかにすること、それが私の研究テーマです。
信仰と理性は、今日、しばしば対立するものとして語られます。信仰を優越させるにせよ、理性を優越させるにせよ、両者は決して相いれないものであり、たとえば信仰の問題に理性を持ち込むことはけしからんとか、あるいは逆に理性的でないものは全て迷信であるとか、そのような主張を耳にすることもあります。しかし、本当に両者は対立するのでしょうか。
たとえば、古代ローマの哲学者キケロは、理性によって迷信が取り除かれても宗教は残ると述べています。また、古代のキリスト教思想家アレクサンドリアのクレメンスは、もし信仰が哲学によって傷つけられるものであるとするなら、そのような信仰はいずれ崩れ去るだろうと述べています。確かに信仰の対象は理性を越えたものであるでしょう。しかし信仰を抱くのは理性を持つ人間です。また、この理性的な動物こそ、信仰を持つ唯一の動物であって、今日でもなお多くの人々の内に理性と信仰が同居しているのです。
理性と信仰の関係を研究することは、人間とは何か、その本質を明らかにすることにつながります。とはいえ一人の研究者がすべての宗教、すべての哲学を取り扱うことは容易ではありません。そこで私は特に、ローマ帝国におけるキリスト教とその他の哲学・宗教思想の影響関係を専門に研究を進めています。古代末期のキリスト教徒がギリシア・ローマの哲学をどのように受容し、自らに相応しい形に変容させていったか。それは信仰と理性の関係を巡る重要な問いであると同時に、古代の哲学者たちの叡知を中世西欧キリスト教世界がどのように引き継いでいったのか、現代まで続く哲学の歴史を振り返る興味深い作業でもあります。
研究テーマの意義・面白さ
古代末期のローマ帝国の哲学者や宗教者たちが置かれた状況を観察していると、意外なほどに現代の状況とよく似ていることに気づかされます。古代ローマには、ギリシア・ローマの伝統的な宗教や、エジプトや小アジアの諸宗教が存在し、キリスト教公認以後も、時に対立が生じることはあっても、基本的には平和裏に併存していました。また、哲学思想の面でも、ストア哲学や新プラトン主義思想など様々な思想が花開き、互いに活発な議論を交わしていることが確認できます。
このような状況は、グローバル化が進んで様々な社会的、宗教的、思想的バックグラウンドを持った人々が入り混じる現代社会と非常によく似ていると思います。古代世界において、異なる思想、異なる宗教がどのような関係性を構築していたのか、あるいは信仰と理性がどのような関係にあったかを明らかにすることは、今日の世界を、またこれからの社会の在り方を理解し、考える上で大きな助けとなると思っています。