研究テーマの内容、研究活動
18世紀オランダの都市で行われていた救貧活動(自活できない貧しい住民に現金や食料、燃料などを支給すること)の実態を明らかにしようと、市行政府や低地ドイツ改革派教会の関連史料をつかって、知られざる近世的社会保障の有り様を探っています。どのような理由で、誰に、どれだけ、何を支給し、また、誰を対象から除外し、ときに追放するのか。また、同時代人は救貧に満足していたのか、それとも、問題視していたのか。そして、それはなぜか。当時はオランダに限らず、「救貧に値する貧民」とそうでない貧民を分け、前者のみを支援していました。健康な成人であれば、たとえ仕事がなかろうが、困窮は怠惰の結果とみなされたましたし、都市に所属しない人間は、それだけで基本的に対象外でした。施し物もわずかで、とてもそれだけで暮らすことはできなかったのですが、救貧は誰彼なしに物を分け与え、貧民を甘やかしているといって批判される傾向があり、救貧活動に従事する人々もしばしば、そう思っていました。行政や教会で救貧活動を担当した人々が貧民や施しについて書き残した文書を読み解きながら、貧民をめぐる状況を把握しようと辞書を片手に日々、楽しく格闘しています。
研究テーマの意義・面白さ
現代のオランダ社会は、反抗する若者に、外国人に、マイノリティに、カウンターカルチャーに「寛容であること」を誇りにしていることもあってか、近世における救貧サービスの充実ぶりを、先進性や国民性の表れとして誇るところがあります。しかし、研究は自国民のプライドをくすぐって終わるわけではありません。私はオランダ人ではありませんから、オランダ的愛国心とも当然無縁です。
そんな私にとって、近世オランダの救貧とは、17世紀に「黄金の時代」を迎え、一足先に近代的な繁栄を手にした社会が、現代と基本的に同じ問題を抱え込んでしまった活動です。正規の住民全体を救済対象とするという、これまでにない包括的な社会保障を実施していく中で、限られた資金で、あまりにも大勢の人々をいかに救済するのか、という普遍的な問題にどのように対処したのか。今とは豊かさも知識も規模も考え方もまったく異なる社会が、現代社会が抱える課題に必死に取り組んでいたのです。彼らが生み出した方法や判断の基準は、現代とどれだけ違い、また違わないのか。これらの問いは、私にとって大変興味深いものです。