|
|
|
|
|
自由記述欄 |
「キリスト教の本質とは、きわめて簡単なものである」と私の恩師・ネメシュギ教授は著している。「それは父なる神が、人間を無限に愛しているという事実にほかならない」(キリスト教入門)。ここで人間と表現されているのは単に人類という類ではなく具体的な状況の中で、特定の社会に属しそこで自分の人生をある時には意欲的に、ある時には刹那的、無自覚的に生きている私でありひとり一人の学生である。このさまざまに移り変わるわたしたち人間がその時々の必要や欲望によって形成しているのがこの社会である。だれもそこから逃れられない訳であるが、そこを生きるとき、もし社会のありようだけを考え、また社会に受け入れられることだけを目指して自己養成したとしたらそれは自分の人生を全く他者の思いのままに扱われることをゆるしてしまったことになろう。でももし2000年以上の長きにわたって人々がそこに真の生き方を見いだしてきた真理、すなわち自分は自分にいのちと人生を預けてくれた存在から徹底的に大切にされ、ゆるされ、価値を与えられていると考えられたとしたらどうだろう。その人がこの神の愛を基礎として自己養成したとしたらどうだろう。その人は社会の中にあって人の欲望によってただ振り回される人ではなく、一人の独立した自由人として人々と共にその社会のさらなる成熟のために他者と絆を結びながら生きる道を選び取る人になる可能を持つことになる。その意味でキリスト教を大学時代に学ぶことは自分の人生を本来的な意味で開花させるための有力な方法であると思う。 |
Copyrights 2013 University of the Sacred Heart , Tokyo all rights reserved. |