聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 西洋近世哲学、とくに17世紀のホッブズ、デカルト、スピノザ、ライプニッツなどの哲学の研究 |
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著書 | : | 『哲学の歴史 第5巻 デカルト革命』(共著)中央公論新社、『社会と感情』(共著)萌書房、『ライプニッツ読本』(共著)法政大学出版局、『形而上学の可能性を求めて』(共著)工作舎 |
訳書 | : | イヴォン・ベラヴァル著『ライプニッツのデカルト批判』(共訳)法政大学出版局、『科学・技術・倫理百科事典』(共訳)丸善出版株式会社、『ライプニッツ著作集 第II期 1 哲学書簡』(共訳)工作舎 |
『方法序説』(ちくま学芸文庫)
著者:デカルト(山田弘明訳)
出版社:筑摩書房
『パンセ』(中公文庫)
著者:パスカル(前田陽一・由木康訳)
出版社:中央公論新社
『幸福論』(岩波文庫)
著者:アラン(神谷幹夫訳)
出版社:岩波書店
『人間の条件』(ちくま学芸文庫)
著者:ハンナ・アレント(志水速雄訳)
出版社:筑摩書房
デカルトの『方法序説』は「私は考える、ゆえに私はある」、パスカルの『パンセ』は「人間は考える葦である」という言葉でそれぞれ有名ですが、どちらも17世紀の哲学の古典中の古典です。何度読んでも汲み尽くせない含蓄があり、読むたびに新たな発見があります。アランとハンナ・アレントはどちらも20世紀の哲学者です。アランの『幸福論』は、もともとはフランスの地方紙に連載されていたコラムで、洗練された美しい文章の中に人生のヒントがたくさん詰まっています。アレントは映画にもなった有名なユダヤ人女性哲学者ですが、『人間の条件』では、近代がどういう時代なのか、現代社会はどのような考え方や思想のもとに動いているのか、実に深い洞察が展開されています。私たちがどういう時代に生きているのかを考える時、大きな示唆を与えてくれる本だと思います。
ギリシア語の「フィロソフィア」が、哲学という言葉の原点。知を愛し求める活動という意味だ。もともとは、何かを知りたいと思って探究する、考える、議論するといった学問的な探究のすべてを称して哲学と呼ばれていた。伊豆藏好美先生の専門は、17世紀の哲学。私たちが科学という言葉で理解している学問の形が誕生した頃にあたる。
「17世紀というのは、現代の私たちが知っている物理学や化学などにつながる近代的な自然科学が生まれ、哲学者は同時に数学者であったり科学者であったりした時代です。たとえば、デカルトやパスカル、ライプニッツなどの哲学者は、それぞれが数学や自然科学の領域でも大変重要な業績を残していますし、今では科学の歴史で有名なガリレオやケプラー、ニュートンやボイルなどは、みな当時はまだ「哲学」を標榜していました。その後、科学の発展とともに学問分野がどんどん分化して、自然科学や社会科学は個別の学問に分かれていきます。けれども、個別科学ではやはり探究できないことがらや、答えが出せそうにない問題が、哲学の中に残されたり、新たに発見されたりしながら、長い歴史の中で探究され続けてきたのです。」
たとえば「私たちは何のために生きているのか」とか、「ものごとの善悪についての変わらない区別はあるのか」とか、「物理学がいうようにすべては物質や運動やエネルギーに尽きるとしたら、私たちが精神や魂と呼んでいるものはいったいどこにあるのか」など、他の個別科学では答えが出せそうにない問いが、その後も哲学の問題として探究されてきた。
「私が哲学に出会ったのは、中学時代。プラトンやアリストテレスといった哲学の古典を文庫本で読んでいる早熟な友人に触発されたことがきっかけでした。プラトンが残した「対話篇」を初めて読んで、その中でソクラテスが対話相手に投げかける問いに引き込まれたのです。分かったつもりでいても、いざ問いを向けられるとよく分からなくなる。それを考え続けることの面白さに気づいて、今に至ります。」
17世紀の哲学者たちは、新しい科学的世界観をつくる一方で、人間には自然権という生まれつき誰もが平等にもっている権利があり、それを基礎に社会がつくられる、という社会契約説を編みだした。人権や民主主義の根底となる考え方だ。私たち現代人が常識として引き受けている考え方の出発点を、ホッブズやスピノザ、ロックなどの哲学者がつくった。
「人間は生まれながらに平等で、みんなに等しく権利が与えられているという人権の思想を、私たちは小さい時から教えられ、なんとなく当たり前のこととして受け入れています。でも周りを見渡せば全然平等じゃない。それが現実です。私たちは一人ひとりみんな違うし、生まれた環境も場所も違う。それなのになぜ平等とみなすべきなのか。この問いにすぐ答えを出すのは難しいことですよね。そうしたときに、なぜそういう考え方が成り立つのか、そうみなすことがなぜ必要なのかを考えてみる。常識と思っていたことが実は全然当たり前ではなかったことを発見し、その上であらためて考え直すことが哲学を学ぶ面白さだと思っています。」
授業では、英語やフランス語、ラテン語で書かれた原典をじっくりと読み進める。日本語の翻訳でさっと読んでしまっては、そこにある問題に気づきにくいからだ。原典で読んでこそ、なぜこういう書き方をしたのか、どうしてこういう言葉が使われているのかを考えることから見えてくるものがあるという。「私自身、何度も読んできた古典と向き合う中で、今までよく分かっていなかったことが、ある日、なんだそういうことだったのかと理解できる瞬間がしばしばあります。また、講義のあとに提出される学生からのリアクションペーパーには、はっとする問いかけがたくさん含まれています。学生の皆さんには、ぜひ若い感性で、通常の学問の枠には収まりきらない、根源的な問いの答えを探す、そうした充実した時間を過ごしてほしいと思います。」
20世紀のフランスの哲学者メルロー=ポンティは「哲学とは、世界を見ることを学び直すことだ」といっている。数百年以上もの間読み継がれてきたテキストを原典で読むことを通して、人間や世界について見つめ直すことは、現在の私たちを取り巻く課題を考えることにもきっとつながるだろう。