聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 思春期の発達と可塑性 |
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著書 | : | 『子どものこころ』(共著)有斐閣出版 『新臨床心理学』単著(分担執筆)八千代出版 『しっかり学べる発達心理学(改訂版)』単著(分担執筆)福村出版 |
『The Indispensable Calvin And Hobbes(Calvin & Hobbes)』
著者:Bill Watterson
出版社:Andrews McMeel Publishing
6歳くらいの子どもの考え方や行動の特徴がよくわかる、楽しい漫画です。授業の導入に使うこともあります。息抜きしながら発達心理学をどうぞ。
先生の研究と関係する本。『Overcoming the Odds: High Risk Children from Birth to Adulthood』[Paperback]著者:Emmy E. Werner、出版社:Cornell University Press、『Women Look at Biology Looking at Women 』 [Hardcover]著者:Ruth Hubbard、出版社:G K Hall & Co; First Edition edition
学部時代は、薬学部に在籍。分子を操る実験に取り組む中で、自分の中に人間や心の動きに深い興味がわいていることに気づいてはいたという。向井隆代先生が思い切って心理学の世界に飛びこむ決意をしたのは、大学卒業後、1年間企業に勤めた後である。「同じ“サイエンス”の領域ではあるものの、私のような方向変換は珍しいかもしれません」。いつか留学してみたいと考えていたこともあり、進学先にはアメリカの大学院を選んだ。
「遅いスタートでしたが、幸いにも今の方向性が見つかったのは早かったです」。向井先生の専門は、発達心理学だ。
「発達心理学の授業を受けたのは、留学して早い段階でした。そこで人間の発達にもいくつかのメカニズムがあると知り――人の変化の道筋というものを知りたい、寄り添ってみたいと思ったのです」。向井先生が学部時代に勉強してきた自然科学の領域と似たところがあると感じたことも、決め手のひとつになった。
発達心理学は、人が年齢を重ねていく中での心的、身体的、社会的な発達を研究する分野である。
「心理学は、科学です。科学の研究は、まず仮説を立てることから始まります。研究を行って、仮説通りの結果が得られればうれしいけれど、必ずしも仮説通りになることを目的に研究するのではありません」
研究のモチベーションを支えるには「こんな結果が出ればいいな」という気持ち、時には仮説を信じる思いこみも必要だ。しかし、間違っていたらそれを認める謙虚さが、何より大事だ。
「期待する結果が出ることもあり、出ないこともあり。科学とはその『行きつもどりつ』の中で、徐々に進歩していくものなのだとわかった時、研究者として地に足がついたような気がしました」
向井先生は、摂食障害や抑うつなどを中心テーマに、思春期の発達の問題を長く研究してきた。その中で、思春期に表面化する問題の根は、もっと幼いうちからある事が多いことに気づく。
「“発達”という言葉は、一般にはよい意味でとらえられるものでしょう。しかし、心理学的にはもっと広い意味の言葉です。人は成長するにつれて、できることが多くなります。ですが、逆に幼い時にはできたことが、できなくなってしまうこともあります。心的、身体的、そして社会的にも」
幼いころには気にかけなかったことを、思春期になると悩むようになる。それは、肯定的な言い方をすれば「悩むことを知った」ともいえるわけだ。
「そういうことも全部含めて、問題が増幅することも含めて、発達なのです。子どもの成長とともに、“問題”も成長するという言い方をすることもできると思います」
そうした「問題の成長」が、現在の向井先生の研究テーマである。
対象としているのは、児童養護施設に暮らす子どもたちだ。彼らはそれぞれに理由があり、親のもとで育つことができない。
「家族のもとで暮らせなくとも、多くの子どもたちは特に問題もなく成長します。しかし、中には何らかの心理的な悩みを抱える子、問題行動を起こす子も出てきます」
たとえば、人との関係を築いたり、感情をコントロールすることが苦手だったりする子がいる。
「そうしたことが問題としてあらわれやすいのは、思春期です。しかし幼いころから観察を続けることで、そのサインを見つけること、そしてできればどんな支援ができるかを考えることが目的です」
対象者がまだ幼く、インタビューなどに答えることはできないため、現在のところ中心となるのは行動観察だ。時には絵を見せて質問をするなど、簡単な課題を試みることもある。「高学年くらいになれば、直接のインタビューもできるようにはなるでしょう。また、生活をともにしている施設の職員の方々からの聞き取りも行っています」
リスクがある子どもたちに焦点を当ててはいるが――もちろんこの研究は「問題行動が起こりやすい」と証明するためのものではない。
「不幸な経験、困難な経験があっても、それを乗り越えていく人間の強さ、育っていく力を信じながら、支える要因を探すための研究です。研究をしながらも、子どもたちのたくましさに勇気づけられます」
似た境遇にあるグループの人たちを継続して観察することで、社会の変動の中で人間がどのようにたくましく育ち、適応していくか。その姿をあきらかにする研究と言い換えることもできる。
長期的な研究を行うことは、大学院時代からの夢でもあった。アメリカ留学中、向井先生は、幼い時期に身辺にさまざまなリスクがあった子どもたちを継続して調査する長期縦断研究がハワイのカウアイ島で行われていることを知った。また、大学院時代から、DVの被害を受けた女性とその子どもたちを対象とする研究にも関わってきた。その頃から、こうした研究を規模は小さくともいつか日本でもやってみたいと考えていたそうだ。
「データを蓄積していけば、問題を早期発見し、予防することも可能になるでしょう。さらに、個々のケースにあてはめ、今後どんな困難に出会うかという予想にまでつなげることもできると思います。もちろんそれは『仮説』ですが、『こういう困難があるかもしれない』と予想できれば、いつかはそれに対しどのように支援すればいいかを考えるところまで行き着けるはずです。この研究を予防に役立てることが目標です」
『子どものこころ―児童心理学入門(有斐閣アルマ)』 有斐閣
児童心理を学ぶ上での、基礎的な知識をわかりやすく解説した入門編テキストです。現代の子どもを取り巻く周辺環境などにも触れています。
向井先生が担当する「発達心理学」の授業では、ビデオ教材を用い、なるべく生身の子どもの姿を学生に見てもらうよう心がけているという。
「少子化の影響もあり、今の学生は幼い子どもに接する機会が少ないようです。3歳の子はこんなことができる、5歳ならばこう……と、テキスト上の知識だけでなく、イメージを具体的につかみながら学んでほしいと思います」
ゼミ生には、多くの文献や研究論文を読むことを勧めている。
「論文には、数字のデータがつきものです。この時、『数字の向こうには必ず生身の人間がいることを忘れないでほしい』と話しています」
集計されたデータを、機械的に処理してはいけない。一つひとつのデータを、対象者に直接会って集めた人がいること。その一つひとつが、必ずストーリーを語っていること。それを数字を見ながら感じてほしい、と向井先生は語る。
「文献やケースを前にした時、できるだけいろいろな可能性を想像してみてほしい、と学生には常々話しています」。テキストにあることをそのまま受けとるのでなく、『こんな可能性もあるのでは』『こんな見方もできるのでは』と、自分で考えることが大事だ。
「私の授業やゼミでは、『こんなことを言ったら突拍子もなさすぎるのでは』と恐れずに、のびのびと発言できる環境を作るように努めています」。人の思いつきから学び、お互いの多様な観点を共有できる場が、理想の形だ。
「人間は変わりうるし、成長するものです。人間の変容のしかた、発達する道筋を知ることにより、人間に対し肯定的になれる。このことこそ、発達心理学を学ぶ上で、私が得ている大きな喜びだと思っています」