聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 日本語の歴史、日本語の文法 |
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著書 | : | 『日本語のとりたて―現代語と歴史的変化・地理的変異』(共著) くろしお出版 『日本語の構造変化と文法化』(共著)ひつじ書房 |
『いろはうた ― 日本語史へのいざない』(中公新書)
著者:小松英雄
出版社:中央公論新社
「いろはにほへとちるぬるを」はどのようにできたのか、どんな意味があるのかを学べます。高校生でも読みやすい一冊です。
『ちんちん千鳥の鳴く声は 日本語の歴史 鳥声編』(講談社学術文庫)
著者:山口仲美
出版社:講談社
からすは、昔は「カーカー」ではなく「カラカラ」と鳴くととらえられていました。そんな鳥の鳴き声のいまと昔の違いを、日本語を通して明らかにし、面白く解説しています。
©尾田栄一郎/集英社
『ONE PIECE』(ジャンプ・コミックス)
著者:尾田栄一郎
出版社:集英社
みんなが逃げ出そうとする場面でも主人公の少年たちが逃げずに戦おうとする姿を見ると、元気が出ます。
『あゆひ抄』。「脚結抄」。富士谷成章著。1773年ごろ成立、78年に刊行。助詞助動詞を体系的にまとめた文法書。
「奈良時代や平安時代といった日本語の歴史がわかる限り一番古い時代の文法を研究しています。特に注目しているのは、『のみ』や『ばかり』といった助詞や、動詞の活用などです。係り結びの法則にも関心があります」
そう語る小柳先生の研究対象からは、古典の文法を暗記する苦労を思い出す人もいるだろう。「ぞ」が来れば連体形、「こそ」が来れば已然形に述語が変化するあの係り結びの法則も覚えていると思う。しかし、それが小柳智一先生の言葉をとおして語られるとき、思いもよらない輝きを見せ始める。
「助詞の使い方で文全体の意味が変わってしまうことや、なぜ係り結びのような法則ができたのかという成り立ちも興味の対象ですが、そもそも係り結びがある世界で生きていた日本人と、ない世界で生きている我々は、世界観が違うと思うのです。例えば、『花が美しい』と言う時、係り結びがある世界の人たちは『花ぞ美しき』と言うか『花こそ美しけれ』と言うのか考えますが、僕たちは一切考えないですよね。だから、文法が違うということは、世界の見方・表し方の違いに結びつくと思うのです」
また、現代を生きる私たちは「雨が降ったから外出をやめる」と言うように、「から」でつなぐ因果関係を重視する傾向にあるが、古典語の時代に生きる人たちは違うのだという。「雨が降る」という事柄が、起こったか起こらないかという点に関心があったそうで、起こっていたら「雨降れば」、起こっていなければ「雨降らば」と言い分けている、また、どう起こっていたかを言い表したくて古典文法には過去形や完了形のバリエーションが多くあるのだと小柳先生は語る。
さらに、昔の日本人といまの日本人の世界の見方の違いがよくわかるのが「色」の呼び方だ。もともと日本には赤・青・白・黒の4色の呼び方しかなく、それも『赤=明るい』『黒=暗い』『白=はっきりしている』『青=ぼんやりしている』と、もともとは色ではなく光の状態を指す言葉だったという。想像しにくい世界だが、「色」という考え方のない時代があったのでは、という想像が働く。
「外国語を勉強するとその国の文化に触れられるとよく言いますが、古典語も同じです。同じ血が流れ、言葉もつながっているはずなのに、いまとはずいぶん違う文化に触れられるのです」
という小柳先生の言葉には思わず納得してしまう。
『てにをは紐鏡』。本居宣長著。1771年刊。係り結びの法則を体系的に表にまとめ、説明を加えた語学書。
さらに、古い文献を読み解くと言葉の発音までわかってしまうというから不思議だ。
「『漢』という字を私たちは『カン』と発音しますよね。でも、中国語では『ハン』と読みます。もし、古い時代の日本語に『h』の発音があれば、『ハン』の発音をそのまま取り入れるはずです。『カン』という似た発音で取り入れたということは、かつては『h』という発音が日本語になかったことを意味します。さらに、ほかの根拠も組み合わせて考えると、どうやら古い時代の日本人は、『はひふへほ』を『ぱぴぷぺぽ』と発音していたと推定できます」
また、直接関係があるかははっきりしないが、昔の日本人のあごの骨は前に突き出ていたそうだ。あごが前に出ると、確かに『h』の発音がしにくい。古い文献をひも解くと、思いもよらないところまで発想が広がる。
さらに、先生の関心は方言にも及ぶ。
「以前、九州に住んでいましたが、九州には昔に通じる言い方が残っていますね。東京では『塀が倒れている』と言うと、倒れ終わっている状態を指しますが、九州の方言では、塀が倒れ終わった『倒れとる』という言い方と、塀が倒れつつある『倒れよる』という言い方の2つがあります。『〜とる』は平安時代の『〜たり』に近い言い方です。同じ現代の日本なのに、時間のとらえ方と言い方が違うのだなと思いましたね」
そんな日本語の研究が本格的に始まったのは、江戸時代に入ってからだという。その当時の人々による日本語研究も、小柳先生の研究対象の一つだ。
初めて日本語を品詞分類した富士谷成章の研究書『あゆひ抄』や、本居宣長が作った係り結びの書『てにをは紐鏡』を読むと、情報が限られている時代によく資料をこんなに集めたなと感心させられるそうだ。
「現代の我々が気づかない細かいところまで気づいていて、江戸時代の人のほうが問題を敏感にかぎ分けている部分もありますね。僕が『これは新しい発見だ』と思っていると、何百年も前にすでに発見されていて驚くことがあります。本当に、読んでいてハッとしますね」
奈良時代から現在まで、日本語は徐々に変化し続けている。いまの我々が普通だと思っていることも、時代をさかのぼると普通ではないことがある。例えば、ひらがなと漢字を混ぜながら文章を書くことは現在では普通だが、かつては漢文がベース。ひらがなが発明された時も、漢字とひらがなは同じ文章内に混ぜて書かれるものではなかった。それを同時に使うようになったことは、非常に大きな変化だっただろう。特に、教養のある人ほど抵抗したのでは、と小柳先生は言う。
「たいてい、新しいことは、トップの層からは起こりませんよね。民衆や次の世代の人が使う言葉や新しい表現が、時が経つと上の層まで広がり、徐々に変わっていくのだと思います。最初は、言葉の使い間違いから始まったのかもしれません」
昨今、言葉の乱れだと指摘されがちな「らぬき言葉」も、実はすでに大正時代の文章マニュアルに悪い例として掲載されているそうだ。言葉の誤りも、次第に定着していくのかもしれない。
小柳先生いわく、言葉を研究するうえで忘れてはいけないことがあるという。
「言葉は、自然に変化するものではありません。人間が使っていくなかで変えるものなので、生物の進化とは全く違います。変えていくのも変えていかないのも、みんな僕たちがやっていることです。言葉が変わるのには理由があるのです。一番初めは間違いから始まるのかもしれませんが、それを受け入れていく側に理由があるのだと思います」
そして、言葉を変えていく大きな原動力がもう一つあると先生は考えている。
「かっこよく言うと、感動です。いままでにない表現を言いたい、自分の感動を面白い言い回しで伝えたいと。そういう動機って大きいと思いますよ」
だから、誰も感動しなくなった言葉は誰も話さなくなる。話されない言葉は、もう変化することはない。言葉が変化しなくなる時とは、その言葉が死んだ時だ。私たちが日本語に感動し続ける限り、日本語は死なない。小柳先生の研究室では、実は現代語を研究する学生も多い。ただその基本にあるのは“言葉の変化”を扱うということだ。
最後に、これからその「言葉」を学びたいと思う高校生に向けてメッセージをいただいた。
「どの言葉をとっても、歴史がない言葉はありません。大事ではない言葉なんてないし、面白くない言葉などないのです。だから興味深いのですが、研究は一度分かったと思っても何かの拍子に崩れて、また考え直さなければいけない、その繰り返しです。そんななかで、できれば卒業までに『自分が一番最初にこれを見つけた』という経験をしてほしいと思います」