聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
著書 | : | 『遊びを中心とした保育〜保育記録から読み解く「援助」と「展開」』萌文書林 『ドキドキきらきらグングン 〜天使園のこどもたち』聖公会出版 『保育・教育実習 〜フィールドで学ぼう』(共編著)同文書院 『子どもごころ』春秋社 『事例で学ぶ保育内容 領域健康』(共著)萌文書林 『Curriculum in Japanese Early Childhood Education』(共著)Greenwood publishing Group |
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『幼児の運動と心の育ち』
著者:近藤充夫
出版社:世界文化社
※現在、絶版です
『遊び保育論』
著者:小川博久
出版社:萌文書林
私が大きく影響を受けた、大学、大学院での恩師の著作です。お二人に共通するのは、理論研究者でありながら保育のフィールドをとても大事にし、現場の保育者を尊敬し、応答的な関係を結びながら研究している点です。子どもの持つ力強さ、おもしろさを心から楽しんでいることが伝わる語り口も魅力です。
先生の授業で学生が作成した資料。子どもとの遊び方について、学生が考えた様々なアイデアをまとめたもの
幼児は遊びを通して成長していくが、今の子どもたちには「遊びの経験値」が著しく少ないという。確かに戸外で遊んでいる子どもを見かけることはまれであり――さらに、お父さんやお母さんと家の中で遊ぶ経験さえも少ないそうだ。こうした状況の中、河邉貴子先生は「子どもの成長における遊びの重要性」を唱え、「遊びの質の向上」に焦点を当てながら研究を続けてきた。
「昔は、地域に遊び集団がありました。年齢の違う子同士いっしょになって遊ぶ中で『見る・見られる』関係が生まれ、自然と『観察して学習する力』が育っていたのです。しかし、そうした環境のない今の子どもは、人を見ながら学ぶ力がとても弱くなっています」。これは、「遊び」の話だけでは終わらない。何かを見て、自分から「おもしろそうだな、やってみたいな」という意欲を持って学び取っていく「観察学習」の力は、人生を生きていく上で大きな土台となるものであるからだ。
「単に『遊び』を教えればいいじゃないかというと、それは違うと思うのです。教えられてやるのと、見て真似をしながら展開していくのとでは、まるで意味が異なります。小学校にあがり教科学習を受けるようになる前に、『自ら環境に関わって学びとる』という自発的な姿勢を身につけることが重要。ですから、かつては街の中、地域であったことを保育園や幼稚園の中で構成し直していくことが必要になってきているのです」
大学院で幼児教育学を修めた後、研究を続ける上で「保育の現場に出る」必要性を強く感じた。「条件を統制して実験するのではなく、『生活の場で継続的に観察を行わなければわからない』と考えたためです。最初から実践者と研究者を切り分ける発想はありませんでした。実践をよく知らなければよりよい研究ものぞめない、また実践者も研究的な思考を持つべきだという思いは、当初も今も変わっていません」。
幼稚園教諭として務めながら、「遊びの構造」を研究し続けた河邉先生の当時の代表的な研究に「鬼遊びの研究」がある。
「鬼遊びには、追いかける人がいて逃げる人がいます。3歳くらいではルールを言葉で説明しても、なかなか理解できません。ですが、たとえば先生がオオカミのお面をかぶって『オオカミがコブタを食べに行くよ』と言えば、子どもたちは瞬時にルールを理解して、逃げ出します。鬼遊びとは、そうした『ごっこ性』の構造を持っているわけです。その構造を理解していれば、子どもの年齢や発達に応じた指導のあり方が導き出されます」。このように、遊びにはさまざまな構造がある。遊びを通して子どもを育てるには、保育者が遊びの構造を理解する必要があるという。
「実践研究と理論研究が融合した『鬼遊びの研究』を高く評価していただき、自分の道はこれだと確信できました。子どもの姿の中から理論を導き出していく方法論が、そこで決まったと思います」
研究方法は、「必ず保育現場に出向くこと」が基本。「そこで観察記録をとり、先生方と検討しあいます。子どもと応答的な関係はどうやって作るのかを検討しながら、その時期の子にとって必要な経験は何か、適切な保育環境は何かを導くという方法をとっています」。
幼稚園に12年間勤務した後は、教育委員会で指導主事を務めた経歴も。保育者の専門性を高めることを目的に、研究や研修を助ける仕事に4年間従事した。河邉先生は現在も、研究と並行して現職の保育者を支援する研修活動を続けている。「保育の質を高めたいという強い思いをもって取り組んでいます。自分の研究も、常に現場にフィードバックさせていきたいですね」。
先生の著作。左から『子どもごころ―幼児が生きている豊かな時間』春秋社、『ドキドキきらきらグングン―天使園の子どもたち』聖公会出版、『今日から明日へつながる保育―体験の多様性・関連性をめざした保育の実践と理論』 、『遊びを中心とした保育―保育記録から読み解く「援助」と「展開」』萌文書林 、『河辺家のホスピス絵日記―愛する命を送るとき』東京書籍 。『河辺家のホスピス絵日記―愛する命を送るとき』は先生が41歳という若さで逝去した夫との最期の日々を、絵日記によって記録したもの。NHKスペシャルでも放送された
「子どもが大好きだから」という理由から保育者を目指す方は多いであろう。もちろん子どもはかわいく、愛すべき存在なのだが――「それ以上に、とてもおもしろい。思考力が高く発想も豊か、また子どもなりの高い倫理観を持っています。考えること、仲間関係の作り方など、観察するほどにその複雑な創造性にひかれてやみません」。
そのおもしろさを学生にも気づいてもらうため、河邉先生は授業でもフィールドワークを重視。「教育学演習2(幼児理解)」の授業では「チャイルド・ウォッチング」という行動観察手法を取り入れている。
「これは、街に出て子どもを観察し、詳細に記録をとるというものです。たとえば、子どもが一生懸命話しかけているのに、親は携帯電話でメールを打つのに夢中になっている。そんな時、子どもはどんな表情を浮かべているか。不満をどのように訴えているか、あるいはどのように我慢しようとしているのか。子どもの一挙手一投足の中に、子どもの心理が表現されているとわかってきます」
これまでは子どもを見かけた時「かわいいな」と思うだけだった学生も、チャイルド・ウォッチングを経てから多くのものが見えるようになり、よく考えるようになったという。子どもは何を感じているか、また傍らにいる養育者の態度、さらにはその親子の周囲の人々の反応から社会のありようまでも見えてくる。
「記録する」ことは、河邉先生が研究・指導において、もっとも重きを置いているポイントだ。「記録をとることは、学生であれ研究者であれ保育者であれ、フィールドをベースに研究する上で、必要なこと。学生を指導する上では、できるだけ自分の感じた感情を、主観を大事にして記録をとるようにと言っています」。
「記録は客観的であるべき」と考える人もいるかもしれない……、しかし、河邉先生は「ものごとの主体者が主観的に記録をとったものが科学的ではないとはいえない」と語る。
「そのフィールドでの、主観も重要なデータとなるからです。つまり、あとから『なぜそう感じたのか』、主観を自己分析すればいいのですから。「感じる」動機となる、子どもの行動を詳細に観察・記録することが大前提となりますが、記録する主体者がその時その場で、どう感じたかを大事にしてほしいのです」
河邉先生は、保育者を育てる教育者としてはどのようなことを重視しているのか。
「私の持っている授業は、幼児教育の原理原則から方法論まで、幼児教育の根幹となるような授業。もちろん知っておくべき知識はたくさんありますが、一番大事にしているのは、ディスカッションとグループワークです。幼児は、究極的に自発的な存在。ですから、その人たちに向き合うには大人も自発的でなければいけないと思っているためです」
考えたことを表明しないことには考えたことにならないので、正解、不正解にこだわらず、とにかく「発言すること」をよしとする。そんな空気の中で、みな活発に発言できるようになってくるという。他者の意見を聞くことも、自分の意見を形作る上で重要だ。
「保育者は、子どもが憧れるような人間でなければ、と思います。保育者が楽しそうに遊びを展開していれば、子どもも自然にひきこまれるものです。魅力的な人間になるためには、学生のうちにいろんな人と出会ってほしい。恐れずにいろんなところに出かけて、自分の体を使って何かを獲得してきてほしいです」
日本の幼児教育は、今大きな転換期にある。幼稚園の機能と保育園の機能を一体化させた「こども園」という新しい施設が生まれ、保育者のあり方も新たな方向性が模索される。
「現場の先生方とともに、私も新しい流れの中に身を投じていく所存です。新しいシステムの中で、子どもたちが充実した生活や遊びをいかに展開できるかをいっしょに考えていくことが、これからの大きな課題と考えています」