聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 記憶と感情の関係の実験的検討 |
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著書 | : | 『認知と感情の心理学』岩波書店 『感情と心理学ー発達・生理・認知・社会・臨床の接点と新展開』(編著)北大路書房 『日常認知の心理学』(共著)北大路書房 『視覚シンボルの心理学』(共著)ブレーン出版 |
『愛に生きる 才能は生まれつきではない(講談社現代新書)』鈴木鎮一
出版社:講談社
音楽の英才教育で世界的に知られる「スズキ・メソード」を考案したバイオリニスト・鈴木鎮一氏の著書。私が人間の成長と“教え方”について考えるきっかけを与えられた一冊。教育学に関心を抱く全ての人にオススメしたい一冊でもあります。
高校卒業後、小学校の教員を目指して国立の教育大学へ進学した高橋雅延先生。大学で学ぶうちに、教員よりも教育そのもの、つまり「教える方法」に関心が移り、大学院で教育心理学や発達心理学、とりわけ「記憶」に関する研究に実験心理学的なアプローチで取り組んだ。
「自分自身が暗記を苦手にしていて、どうすれば楽に覚えられるのか、その方法を見つけたいと思ったのがそもそものきっかけ。中学、高校の勉強は覚えることが中心ですし、良い記憶方法が良い教え方、良い教科書づくりにつながると考えたんです」
実際の研究では円周率10万桁の暗記で知られる日本人・原口證さんにも協力を仰いだという高橋先生。思い切り説明を省いて結論を言えば、暗記のコツは「覚えるのではなく理解すること」、つまり意味のないものに意味をつける“語呂合わせ”だとか。
「単なる数字や単語の羅列をそのまま覚えるのは苦痛ですし、そういう記憶はすぐに消えてしまいます。語呂合わせのほかに、音楽や絵を組み合わせて覚えるなど、何らかのイメージづけをするのが一番の秘訣。聞けば単純なことですが、方法は人それぞれですし、意外と奥が深い。まず大切なのは、自分にあった記憶術を見つけることです」
そんな高橋先生のベースはやはり実験心理学。「心理学は心の理学」という考え方にもとづき、実験重視の理学的なアプローチを信条としている。ゼミナールではデータの収集・分析に不可欠な統計学やコンピュータのスキルも修得しなければならない。哲学から派生した基礎理論から実践的な応用・臨床まで、きわめて多様で幅広い心理学領域にあって、特に理系的な色合いが強い分野の一つと言えるだろう。
「興味のきっかけはテレビの心理テストや雑誌の性格診断でいいと思います。ただ、大学ではそこからもう一歩も二歩も踏み込んだ学問として勉強するわけですから、最初は好き嫌いをせず、心理学のいろいろな分野を幅広く覗いてもらいたいですね」
先生の著書
『記憶のふしぎがわかる心理学』
高橋先生が掲げるもう一つの研究テーマ。それが「記憶」とは似て非なる「思い出」だ。
どちらも同じ意味のように思えるが、高橋先生の言う記憶とは“客観的な事実”、思い出は“主観的な事実”を指す。客観的な事実が何年経っても変わらないのに対して、主観的な事実は時として都合良く改変される。そこが高橋先生の興味の対象だ。
「たとえば大学受験に失敗して浪人したという記憶。その直後は恐らく嫌な思い出でしかありませんが、時間が経つとそれも良い思い出になっていたりします。うつ病患者は過去の出来事を正確に記憶しすぎているという説もありますし、事実と違うことも繰り返しそう思い込むことで、自分の中では事実になってしまう。そんな自己暗示も含めて、これはある意味、自己防衛本能の表れとも言えるでしょう。つまり思い出は過去の記録ではなく、思い起こすたびに1回1回“作られているもの”なのです。そこでは必ず“記憶のゆがみ”が生じます。実はこれが今、非常に大きな問題だと考えているんです」
“記憶のゆがみ”が自分の心の中だけで収まっているうちはいいだろう。だが、それが他人に何らかの影響を及ぼす場合、無視できない問題として考えるべき。その一例として、高橋先生はこの2009年から施行される「裁判員制度」を挙げた。
「よく被告人の精神鑑定が取り沙汰されますが、認知心理学の立場で言うと、たとえば目撃情報など人間の記憶に依存する証拠や証言にも慎重な判断が必要。それは、どんな記憶にも必ず“ゆがみ”が生じるからです。場数を踏んだ裁判官や検察官、捜査官たちはある程度、そうした“記憶のゆがみ”を経験的に認識しているかも知れませんが、原則素人の裁判員が“記憶のゆがみ”を考慮せずに判断することは非常に危険です。まず、人間の記憶は必ず“ゆがむ”という事実を広く世の中に伝えていくこと。それが私たち心理学者の新しい使命かも知れませんね」
先生の著書
『認知と感情の心理学』
「人の考えや行動が読める」というイメージから、社会生活や集団生活の中で役立つと考える人も多い心理学。確かに他人を理解し、協調していく上で心理学的な裏付けは非常に有用だ。ただし、それは一つのツールに過ぎないことも高橋先生は協調する。
「記憶のメカニズムや“ゆがみ”の認識は、たとえば何かを人に教える時、とても便利なツールになると思います。“教える”という行為は教員に限らず、会社でも家庭でも必ず経験することですからね。でも、忘れてならないのは“記憶”がさまざまな性質を持つように、心の問題にはいろいろな見方や意味があるということ。人間には目が二つあるわけですし、学生の皆さんには少なくとも二つの方向から物事を見てもらいたい。一つの問いかけに答えがたくさんあり、その中から自分なりの答えを探し出し、さらにそれを説明して相手に納得させる。大学の勉強とはそういうものです」
それは学科全体の教育にも言えることだが、教育学科では2年次までに全員が実験、統計、コンピュータなどの基礎をしっかりと学ぶことができる。ゼミナールを選ぶ3年次には、ほとんどの学生が実験心理学の基本スキルを身につけているわけだ。
「このゼミナールでは客観的な数値データと主観的な心理テスト結果という二つの指標を扱いますが、どちらもベースは実験にもとづく科学的なアプローチ。理系的な勉強に不安がある人も、学科全体でサポートしますので安心してください。心理学を学ぶ上で何より大切なのは人間に興味があること。それは自分って何だろう、という問いかけでもあります。是非、私たちと一緒に自分自身の記憶をたどり、オリジナルな自分史を発見してもらいたいと思います」
教員として、研究者として「人に影響を与えること」に大きな喜びを感じるという高橋先生らしいメッセージだ。