聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 日本近代文学 |
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著書 | : | 『鴎外を読み拓く』(単著)朝文社 『森鴎外論集 彼より始まる』(共著)新典社 『帝国の和歌』(共著)岩波書店 |
〔運動が苦手な人も運動の習慣を持つこと〕
泳ぐ、歩く、走る、何でもいいので、毎日気持ちよく続けられる、自分に合った運動の習慣を持つことがおすすめです。私はヨガをしていますが、自分の心身と向き合う時間ができますし、運動に集中することで悩みから意識が離れて、気分転換にもなります。結果的に勉強や仕事もうまくいきますよ。
大塚先生が携わった本。学校の先生が国語の授業の参考にする教師用指導書や、教材の研究など。
日本近代文学を専門とする大塚先生が、最も力を注いで研究してきたのが森鴎外だ。学生時代は太宰治が好きだったが、研究対象にするなら逆に共感しにくい作家を、との思いから鴎外を選んだというから、面白い。しかもその結果、どんどん自分の世界が広がったという。
「森鴎外は、陸軍の軍医であり、晩年には宮内省の官僚として働いていたこともありました。交友範囲は幅広く、作家はもちろん、俳優、学者、政治家、さらには反体制側である社会主義者との交流もありました。したがって、鴎外を知るには明治・大正を生きたさまざまな人たちを知ることが必要ですし、時に医学など自分の専門ではない分野にも首を突っ込まなければなりません。研究は大変なのですが、おかげで文学の世界以外の知識を得られます。そういった意味で鴎外は、いつも未知の世界へ導いてくれる研究対象といえます」
確かに、森鴎外といえば医者でもあり、ドイツに留学したり、博物館の館長も務めていたり、実にさまざまな顔を持っている偉大な知識人とのイメージが強い。先生は、主に森鴎外という人物そのものを研究しているのだろうか?
「3つの研究に取り組んでいます。1つは森鴎外という人物と、その経歴を明らかにすること。2つ目は、森鴎外の作品をどのように読むべきか、作品を解釈していくこと。3つ目は、作品が生まれた時代や当時の文壇の状況などを明らかにしていくことです。どれも鴎外が作品を書いた当時、つまり過去にさかのぼっていくタイプの研究です」
この3つの研究は、それぞれが切り離せないものであり、密接にリンクしているそうだ。例えば、実際の事件を題材にした作品を解釈する際には、当時の社会背景はもちろん、司法関係者と特別な接触を持っていた森鴎外がどこまで事件の極秘情報を得ることができたのか、彼の経歴を詳しく調べる必要も出てくる。顔が広い森鴎外だからこそ、人物も作品も時代も、さまざまな面が見えてくるに違いない。
過去にさかのぼる研究の一方で、大塚先生は、鴎外の死後から現代に至るまでの読者の視点から読み解く研究にも取り組んでいる。その1つが、森鴎外の代表作「舞姫」がどのように読まれてきたか、なぜ高校の国語教科書の定番教材になったのか、という研究だ。
「教科書に『舞姫』が最初に採録されたのは、戦後の昭和31(1956)年。アジア・太平洋戦争を経て、戦前の日本人の人格形成に対する反省が文学者や教育者の間でなされた時期でした。どんなに高い教育を受けた人でも軍国主義に巻き込まれて戦争に反対できなかったのはなぜか、それは日本人に主体性がなかったからではないか、近代人なら持っていなければならないはずの、国家にノーと言える自我が育っていなかったためではないか、と戦後になって考えられたのです。『舞姫』の主人公、太田豊太郎は国家のために尽くすという古い考えを捨て、「まことの我(ほんとうの自分)」という主体性に目覚めていくのですが、最終的にはそれも捨て、ドイツ人女性エリスとの愛も捨てて、日本に帰って国家に役立つ人間となる道を選びました。その姿が、主体的な自我を持つことに挫折した、別の言い方をすると、本当の意味で近代人になることに失敗した、戦前の日本人の縮図であるととらえられたのです。そして、『近代的自我の目覚めと挫折』という主題を描いた作品の典型として、「舞姫」は教科書に採録されました」
興味深いのは、50年以上たったいま現在も、教育現場ではこの主題が生きているということだ。
「文学研究者の間では、読み方はどんどん時代に合わせて進歩していくのですが、不思議なことに教育の現場では、『舞姫』が教科書に最初に載った当時の主題が定番の教え方として残っています。もちろん、そのような教科書的な読み方にも意義はあると思いますが、文学とは『こう読まなければいけない』と決まったルールがあるわけではありません。大学まで進学する方には、さまざまな読み方の可能性を追求してほしいですね」
確かに、先ほど先生が紹介してくれたように、文学へのアプローチの方法も一つではない。さまざまな方法で文学を分析することができるのだから、読み方もさまざまあって当然だ。高校で学ぶ現代文と大学で学ぶ文学の違いはまさにそこにあるのだろう。大学で学べば、いままで読んできた文学作品にも、違う魅力が発見できるはずだ。
大塚先生のもう1つの読者視点からの研究も、非常に興味深い。作品と作者を切り離したとき、読者がどう作品を読むことができるか考えているという。
「森鴎外といえば『偉大な知識人』というイメージがありますよね。研究者の間でもそのイメージに合うような研究ばかりがされていた時期がありました。どの作品を読んでも、すでに出来上がっている鴎外のイメージに沿った読み方へと、自然に誘導されてしまうのです。ならば、『偉大な知識人、鴎外』というイメージをいったん取り外し、作品だけをしっかり読んだら、どれくらい読み方の可能性が変わるのだろうか、という実験をしました」
先生が題材に選んだのは鴎外の「普請中(ふしんちゅう)」という短編小説だ。明治時代の日本を建設中(=普請中)のホテルにたとえた小説で、それまでの研究者は主に前半部分だけを論じることが多かった。前半には「偉大な知識人」鴎外にふさわしい、当時の日本に向けた文明批評が書かれているからだ。一方、小説の後半では、日本の官僚・渡辺が昔恋人だったドイツ人女性を日本から追い払おうとする人間模様が描かれており、まさにここが、研究者が呪縛にかかりやすい部分だという。「偉大な知識人」のイメージに合わないため、後半部分について熱心に論じられることはなかったそうだ。だが、大塚先生は言う。
「でも、鴎外と切り離して作品そのものを読んでみると、後半ではとても気のきいた大人の男女の会話が繰り広げられていたのです。元恋人の渡辺とよりを戻したいドイツ人女性と、それを望まない渡辺。生々しいかけひきなのですが、その生々しさを決して表面に出さず、気のきいたやりとりで進めていく、そんな大人の会話が描かれていました。そう分かったところでもう1回、作品と鴎外を結びつけてみると、『鴎外さん、あなたはこんな小説も書くんですね』という、新鮮な発見にもつながるのです」
先生のお話を伺っていると、なるほど、ものごとにはさまざまな見方があるのだなと考えさせられる。アプローチごとに、見えてくるものはそれぞれ異なるのだ。先生が、これから入学を目指す高校生へ伝えたいメッセージも、まさにそれだ。
「文学に限らず社会に出てからも、ものごとにはたくさんのとらえ方があります。大学に入る皆さんには、ものごとは一概には決めつけられないのだ、ということをまず体感して、知ってほしいですね。社会に出て、もし大学で勉強したこととは関係のない世界で生きることになったとしても、さまざまな問題に対処する時の選択肢を広げてくれると思います。仕事はもちろん、子どもを育てるとか家庭を運営していくとか、人生のさまざまな場面でたくさんの問題にぶつかると思いますが、常に見方は一つではないのだと、経験として知っていると、その人の選択の可能性が広がっていくように思います」