聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 社会心理学、人格心理学。研究テーマは羞恥心、対人不安、自己呈示。 |
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著書 | : | 『人ははぜ恥ずかしがるのか』サイエンス社 『ひとの目に映る自己』(編著)金子書房 『羞恥心はどこへ消えた』光文社新書など |
『セレクション社会心理学(シリーズ)』
写真:セレクション社会心理学 19 「人はなぜ恥ずかしがるのか」〜 羞恥と自己イメージの社会心理学 〜
著者:菅原健介
出版社:サイエンス社
社会心理学の研究テーマは社会のいたるところに転がっています。
友達関係、学校の教室、行き帰りの車内の中...、好奇心をもって人間を観察し、不思議を探してみてください。
セレクション社会心理学シリーズ(サイエンス社)の本はこの領域の広さを知るためにお勧めです。
『羞恥心はどこへ消えた?』光文社新書
20世紀半ば、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト女史はその著書『菊と刀』の中で「西洋は罪の文化、日本は恥の文化」と唱えた。さまざまに解釈される言葉だが、日本人にとっての「羞恥心」を考える上で大きなヒントになってきたことは間違いない。もちろん現代の若者たちに「羞恥心とは?」と聞けば、返ってくる答えは昨年、大ブレイクした男性タレントのグループ名だろう。「おかげでマスコミなどの取材依頼が増えました」と苦笑いするのは、長年にわたり心理的な概念としての「羞恥心」を研究テーマに掲げる菅原健介先生。言うまでもなく、芸能界とは無縁の社会心理学者だ。
「字面のイメージから社会心理学は社会全体、つまり大きな集団を対象とする心理学だと思われがちですが、実際には“二人以上の人間関係の中で起こる出来事”を幅広くカバーしています。とりわけ私の専門である対人社会心理学は社会的自己、すなわち社会の中の自分(個人)を中心に、家族や友人など多様な対人関係の中で生まれる心理的作用を扱うもの。その中心的なテーマの一つが羞恥心なのです」
そもそも人間はいつ、どんな時に「恥ずかしい」と感じるのか。程度の差こそあれ誰もがごく日常的に、さまざまな場面で抱く身近な感情だからこそ、その定義は難しい。
「羞恥心は一種の警告システムです。“そんなことをやっていると周囲から批判の目で見られるぞ”と私たちに知らせてくれる心の装置です。しかし、この装置には不思議なこともたくさんあります。たとえば、人はなぜか褒められても恥ずかしいと感じることがあります。恥しい時に、顔を赤らめたり、頭をかいたり、舌を出したり、なぜそんな奇妙な表情をするはどうしてでしょうか。自分たちが日常やっていることですが、あらためて考えるとわからないことばかり。でも、きっと理由があるはずです。人によって様々だと思うようなことでもデータをとって調べてみると、そこに何らかの法則性や人間の特徴が見えてきます。それが社会心理学的なアプローチと言えますね。」
電車の中で化粧をする女性。社会問題となっている。
昨今の社会風潮と羞恥心について語る時、しばしば引き合いに出されるのが電車で化粧をする若い女性だ。この場合は当の本人に恥ずかしさはなく、むしろ周囲の人間の方が羞恥心を感じている。何とも奇妙な構図だが、この他にも車内での携帯電話やコンビニの前に座り込む行為など、しばしば、マナー違反や迷惑行為などと批判されるケースは意外に多い。マスコミなどでは、「最近の若者は恥の感覚がマヒしているのではないか」などと批判するが、その実態を細かく調べてみると、必ずしもそうとは言い切れないようだ。
「車内で化粧をする女性に恥の意識がないというのは間違いです。これから会う会社の同僚や友人に対して化粧していない顔を見せるのはさすがに恥ずかしい。だからその前に必死で化粧をするのです。でも、彼女たちにとって電車に乗り合わせた人々は全くのタニン。たとえ、どう思われても影響はない。そういう他者への微妙な感覚が恥という感覚を低下させているようです。ただ、ひと昔までは電車の中もご近所づきあいという感覚があったので、めったなことはできませんでしたが。このように、『恥ずかしい』という感情は、社会構造の変化や人と人との関係の中でさまざまな形に変化する、まさに対人社会心理学で扱うべきものです」。
菅原先生の研究テーマはもちろん「羞恥心」だけに限らない。「あがり」や「失態」、「対人不安」、その裏返しである「自己顕示」など、「恥ずかしさ」から連鎖して広がっていく多様な心理作用の全てが知的好奇心の対象だ。
「社会心理学の研究に必要なのは、常識とは違う視点から世の中を見る目です。私たちの日常は案外、常識的な理解に縛られています。何気ない心の動きや行動を当たり前の習慣で片付けず、『なぜいつもそうなるのか』と客観的に考え始めた時から科学的アプローチが始まるんです」
近年、こうした心理学の研究をモノづくりに生かそうという企業が増えている。菅原先生率いる対人社会心理学研究室でも、民間企業からの委託研究や共同研究といった積極的な産学連携を進めている。現在はあるアパレル関連企業と共同で、お気に入りの被服を着用することが人にどのような心理的影響を与えるかなどを研究している。
「多くの企業は今、消費者がどんな商品に心地よさや安心感を抱くのか、そのモノサシを求めています。社会心理学はその答えを出す有効なアプローチの一つです」
高校時代、あくまで受験勉強のために、たまたま自宅にあった『世界の歴史』という全集を読み始めたことが心理学への入り口だったという菅原先生。
「第1巻の半分くらいは延々とサルの社会に関する話で、すっかり“サル学”にハマってしまったんです(笑)。それからサルに関する本を読み漁ったり、時には動物園へ出かけてサル山を観察したりするうちに、興味の対象が徐々に人間へと移っていきました。群れの中で何かトラブルが起こった時、サルは感情をむき出しにしますよね。でも人間は感情を抑え、表面上はうまく他人と付き合おうとする。そんな人間の複雑な社会に疑問を抱き、大学では心理学を勉強しようと思ったわけです」
サルたちの行動から「人間社会の不思議」を感じた菅原先生にとって「羞恥心」は人間というパズルを解くために欠かせない、重要なピースの一つなのだろう。
「日本人にとって『怖い、面倒くさい、恥ずかしい』は自由な行動を阻害する3つの大きな壁だと思うんです。電車の中でお年寄りに席を譲らないことは恥ずべきことと言われますが、一方で、ちょっとした気恥ずかしさ、つまり小さな「羞恥心」のせいで逆に席を譲れないこともあります。恥ずかしいので言いたいことが言えない、それで損をしてしまうというケースも少なくありません。恥は人の行動を律するだけでなく、引っ込み思案にさせてしまう効果もあるわけです。大切なのは自己主張と慎み深さのバランス。誰もが持つ自己顕示欲と羞恥心は言わば、『心のアクセルとブレーキ』の関係にあって、どちらかに偏ってはいけいのです。どうやったら私たちは自らの羞恥心とうまく付き合ってゆけるのか、これも恥の研究の重要なテーマです。」
菅原先生の目標は、人間社会という一つの集団の中で心地よく暮らすための“心のルール”を見つけること。その原動力は高校生の頃、時を忘れてサル山のサルを観察し続けた、ピュアな知的好奇心なのかも知れない。