聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 乳幼児期を起点とした音楽的発達と音楽学習の研究。保育における子どもの表現の理解と教育の研究。太平洋戦争下の学校音楽教育に関するフィールド研究。 |
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著書 | : | 『子どもの表現を見る、育てる−音楽と造形の視点から』(共編著)文化書房博文社 『音楽する子どもをつかまえたい−実験研究者とフィールドワーカーの対話』(共著)ふくろう出版 『おんがくのしくみ−歌って動いてつくってわかる音楽理論』(共編著)教育芸術社 『子育ての座標軸−子ども・社会・文化』(共著)聖公会出版 『新保育シリーズ・保育内容 表現』(共著)光生館 小学校音楽教育実践指導全集・第6巻『小学校高学年の表現と鑑賞II』(共著)日本教育図書センター 『音楽教育論−−子供・音楽・授業・教師』(共著)教育芸術社 『国際理解教育と教育実践・第19巻−−音楽における国際理解教育』(共著)エムティ出版 |
『ママと小さな天使へ 森のくまさん〜素敵なメロディ』
監修・選曲:今川恭子・小畑千尋
レーベル: 日本コロムビア株式会社
『ママと小さな天使へ 子象の行進〜地球のハーモニー』
監修・選曲:今川恭子・小畑千尋
レーベル: 日本コロムビア株式会社
『ママと小さな天使へ 月の光〜やすらぎの音色』
監修・選曲:今川恭子・小畑千尋
レーベル: 日本コロムビア株式会社
先生が出版に携わった本。
言葉をしゃべり出す前から、あるいは歌を歌いだす前から、乳幼児はさまざまな声や音を発信する。今川恭子先生は、これらを音楽的表現の萌芽ととらえ、それがどのような過程で育まれるか、保育者と養育者はその過程でどのように支えていくかに焦点を当てて研究している。
「赤ちゃんは、あらゆる感覚のなかで、かなり大人に近いとても優れた聴覚を持って生まれてきます。生まれたときからカチカチと音が鳴る方を向くほどです。もちろん大人が『聴く』というのとは少し意味が違うのですが、まだお母さんの胎内にいるときからお母さんの声や体内音や外の音を聴いている赤ちゃんにとって、音との関係は生きていくために必要な絆とも言える重要なものなのです」
いま「乳幼児と音」についてそう語る今川先生の、研究者としての出発点は実は別のテーマにあった。
「東京芸術大学の楽理科では、ルチアーノ・ベリオやジョン・ケージなどといった当時の現代音楽を対象に、特に(音楽を聴く)受容者の側が、「音」に向き合ってどう意味をつくりだしていくか、人間の側から音とどう向き合いどう意味づけているのかを研究していました」
これだけでは少し難しいかもしれない。では、具体的にどんな音の世界を扱っていたのか。例えばジョン・ケージは、4分33秒の間ステージ上の演奏者が何も音を出さないという作品を発表したことがあるそうだ。作曲家が書いた楽譜を演奏家が再現するという常識的な関係性を壊した作品だったが、一般的な作品という枠組みが介在しなくとも例えば観客が席を立つ音など、純粋に「音」と向き合うなかで聴き手がどのように音を受け止め想像力を働かせて意味を生み出すかを考察するのが今川先生の研究テーマだった。
それでは、現在のテーマである“乳幼児”と、最初の研究対象であったこの“現代音楽”は、一体どこで結びつくのだろうか。
大学を卒業し、結婚・出産を経て子育てのなかで我が子と向き合っていた今川先生は、ある日、研究活動にとって重要な気づきにつながる光景と出会う。
「現代音楽の研究では、どこか頭だけで考えている自分がいるような気がしていたころ、気づいたら目の前に生きている自分の子どもが現代音楽家みたいなことをやっていたわけです。自分の子どもがベリオの作品みたいな声を出している、音を出している。でも、『そうじゃない、現代音楽を子どもがやっているのではなくて、現代音楽が問おうとしていた音と人間の根源的な関係が、子どものなかにあるのだ』と気づいたのです」
現代音楽をとおして探しつづけてきた、音と人が関わり合う根っこは目の前の子どものなかにあった。音に対する、柔らかく、かつ鋭い感受性をもった乳幼児が音を介して人との関係をどのようにつくっていくのか。そうした発達と学習の研究と、大学の学部時代の研究とがここで結びついたのだった。
「人と音の関わりのルーツが乳幼児のなかにあると気づいたら、現代音楽をやるより子どもを見ているほうがずっと学問的な好奇心を刺激されました。いままで不思議に思っていたこと、知りたいと思っていたことが、すべて子どもの生活のなかに詰まっているな、と思ったのです」
ここで、今川先生のお話をもとに子どもの「音世界」について見てみよう。
鋭敏な耳をもって誕生する赤ちゃんは、生まれて間もないころから人の声の高さや調子を聴き分け、外界の音にアンテナを広げ、人とのコミュニケーションの学習を開始している。声を出せば、自分で自分の声が聞こえる。モノに触れて音を出せば音を出している自分の身体を感じられる。それは、子どもにとって自分を感じられる瞬間でもある。そして身近な人から声が返ってきたり、他者と音を共有したりする中で、人との絆を強め、想像力や創造性も育っていく。同時にさまざまな文化とふれ合うなかで、自然に多様な音楽的コミュニケーションを楽しむようになるのである。
乳幼児と「音」や「声」とのこのように重要な関係を前に、保育者はどう向き合えばいいのだろうか。
「何よりもまず、音を介して表現する人を育てるのだ、という気持ちが基本です。それには、保育者や教師自身が、音を介して豊かなイメージと想像力の世界を他者と共有できる人間であること、が大切です。もちろん、『音』を使って子どもたちと接する方策の一つであるピアノの弾き方や歌の歌い方、子どもたちと関わる具体的な遊び方など、幼稚園や保育園で働くための基本的な技術も教えていきます。ただ、それは子どもたちに何かを訓練するのが目的ではなく、保育環境にある文化のなかで子どもたちが表現者として育っていく手助けをするためのものです。
したがって例えば地域のお祭りでお囃子の笛を吹く保育士さんがいて、そこに太鼓があれば、子どもたちが太鼓にさわったり積み木でたたいたりして学習してもいい。子どもとのコミュニケーションの中で自然だと感じることができるのであれば、自分の好きなポップスを子守唄代わりに聞かせてあげてもいいのです」
意外と自由だと思うかもしれないが、もちろんそこには「保育者としての客観的な視点が当然求められる」と今川先生は言う。
「子どもたちが育っていくうえで、どんな文化を学習してほしいか、どんな文化を分かち合うべきかを、しっかりとした知識に基づいて考えられなければプロの教育者とはいえません。また、年齢ごとに子どもたちが表現する行為を適切に受け止め、理解するための捉え方を学ぶ必要があります。人間関係の築き方とか、イメージをもったり意味を伝達したりすることのベースとなる象徴機能の発達とか、総合的な育ちの枠組みのなかで子どもたちを見るための理論も必要です。
保育内容や教科教育を扱う私の授業は、学んだ内容をもとに考えながら動き、また考えて動く、そんなくり返し。例えば音遊びも、音づくりも、音を聴くことも、必ず意味を理論的にバックアップさせながら実践していきます」
学校の音楽教育を理解する一つのアプローチとして、今川先生は資料調査とインタビューを通した歴史研究も行っている。それはまた、「受容者」について学ぶという意味で現在の音楽教育の在り方の研究とも結びつくのだ。
「なぜ現在の音楽教育があるのかを考えるうえで歴史認識は避けて通れません。そこでいま、太平洋戦争下の『国民学校』で学んだ方々にアンケートを取ったりインタビューを行ったりする活動をつづけています。当時は唱歌や童謡に加えていわゆる軍歌が教室で歌われる場面もありました。それらの歌の意味は、資料から見えてくる側面もありますが、歌った主体、つまり当時の子どもたちの心の中にこそ見出されるのではないでしょうか。歌は一人ひとりの記憶や気持ちに支えられているのです。ですから、学生一人ひとりが人と音楽との関係を歴史の視点から考え、次の時代を生きる子どもたちに『歌を教える』ことの責任と意味を考えてほしいと願っています」
こうして幅広く活動する今川先生だからこそ、研究室のテーマは「人と音との関わり方」であれば特に乳幼児に限らない。最近は同世代の人間の音楽経験を扱った学生などもいたという。そんな今川先生に、高校生の皆さんへのメッセージをもらった。
「音・音楽をめぐる身近な出来事に好奇心をもってほしいと思います。小さな子どもが声や音を楽しむ姿に目を向け、耳を傾けてください。そして自分はもちろん、家族の人生の中で音楽がもっている意味を見つめ直してください。」