聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 国際経済学、国際政治経済学:知識経済のメカニズム、国際公共財の提供 |
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著書 | : | 『国際経済論』(共著)八千代出版 |
『21世紀の歴史――未来の人類から見た世界 』
著者:ジャック・アタリ
訳者:林 昌宏
出版社:作品社
著者はフランス人の経済学者で10年間にわたりミッテラン元大統領の補佐官を勤めたことでも知られている人物。これは昨年、初めて読んで「こんなに同じことを考えている人がいたのか」と思った一冊です(笑)。
2050年、2100年の国家や宗教、民主主義、そして資本主義はどうなるのかを予測したヨーロッパの大ベストセラーです。
先生の授業で学生が書いたレポート テーマは、「自分は、なぜ生まれてきたと思いますか」「死ぬ時に、自分はこの人生で何を「成した」または「した」と思いたいですか。」
国際経済学・国際政治経済学の研究者で、現在は国際交流専攻で経済学系の講座を受け持つ古川純子先生だが、もともとは聖心女子大学の英語英文学科出身。大学卒業後は国際関係の仕事を志望して大手新聞社の関連会社に就職。企業の企画立案や業務に必要な海外・技術・企業情報や市場動向などを、公開資料や50カ国の提携情報ネットワークを通じてほぼ即答していく調査・情報収集に3年ほど携わった後、経済を学ぶため退職して大学院に進学したという“変わり種”だ。
「10代の頃から問題意識にあった、どうすれば世界は平和になるのか、人は争わずに暮らせるのか、世界の仕組みを考えてみたいという気持ちが仕事を通じて強くなり、大学院への進学を決めました。経済学を選んだのは、さまざまな紛争の根底には経済があると思ったから。まず経済を学び、世界を理解しようと考えたんです。」
伝統的な経済学は机上の理論が中心で、現実の経済活動と乖離しているというイメージも根強いが、古川先生は当時、そうしたギャップを感じたのだろうか。
「経済学部出身で純粋なミクロ経済学をやってきた人は、その理論に現実を当てはめて見るので『合ってる』と思うようですね(笑)。でも、私のように現実の世界から経済に入った人間はここが違う、そこも違う、といちいち感じてしまう。そういう意味でのギャップは確かにありました。しかし、あまりに複雑な経済の実態を分析するのに、経済理論はやはり有用です。経済学なんて役に立つのか?と言われる実務家も多いと思いますが、環境問題が深刻化して経済行動に制約が加わる可能性や、国際金融市場における市場の暴走やドル暴落の可能性など、私たちが20年、30年前から言ってきたことが現実になってきています。より俯瞰的・構造的に経済の本質を考えるのが経済学の仕事です」
現代が資本主義の世の中であることは疑いのない事実だが、伝統的な経済理論はその大原則として「自己利益の最大化」を唱えている。資本主義社会は「有限の資源から最も効率的な生産をした者が勝ち残る競争社会」だ。そして経済学は元々、工業経済から生まれる眼に見える「モノ」の市場に注目して分析方法を形成してきた。ところが「最近になって従来の経済理論では説明できない現象が次々と起こっているんです」と古川先生。それは専門家でなければわからない類のものではなく、実は誰にとっても身近な、ごく日常的な生活の中に見られる“変化”だった。
先生が授業で使用する
ドキュメンタリーのDVD
新しい経済活動として古川先生が指摘するのは著作権や創作物に代表される知的財産、本来は形を持たない“無体物”の市場拡大だ。デジタルコンテンツなどの創作物、情報サービスなどは「モノ」の概念に収まらない財である。さらにもう一つ、見過ごせないのはコンピュータの世界で起こっているオープンソースや共有化の動き。“Linuxライク”と言われるオープンソース化は、これまで完全非公開が常識だったオペレーションシステム(OS)などのソースコード(原始プログラム)の無償公開から始まった。さらに、ネット上の百科事典として知られるWikipediaもユーザーが無償で情報を書き込むことで成り立っている。いわゆる共有化の典型と言っていいだろう。
「こうした動きは金銭的『自己利益の最大化』という資本主義の概念を根底から覆すもの。既成の経済理論では説明できません。何しろ、利益にならないことを皆がすすんでやってるわけですから(笑)。この現象がどれほどの意味を持つかはまだ未知数ですが、私たちはもう資本主義の“次”、を考えなくてはいけないんです」
もちろん、資本主義以外の選択肢を既成の経済理論から探すと「社会主義」しか見あたらない。そのことが「資本主義」の4文字を頭から払拭できない理由でもある。
「ドイツではエコ関連のプロジェクトにしか投資しない銀行がありますし、通常の電気よりも割高なエコ発電が広く普及しています。その背景にあるのは『環境に良いなら多少高くてもいい』という発想。残念ながら、こうした考え方はまだ日本にもアメリカにも根づいていません。でももし、皆がこれまでとは違う“幸福のはかり方”を持ち、たとえばお金よりも健康や環境が本当に大事だと思うようになったら、経済活動は大きく変わり、経済学そのものも進化していくと思うんです」
資本主義が限界に近づき経済学そのものが大きな転換期にさしかかっていることは間違いない。ただ、そう指摘する古川先生は意外と楽天的な見方もしている。
「やっぱりこの世界には宇宙の摂理みたいなものがあって、地球もその中で生きていると思うんですよ。経済は、その地球上で後から発生した人類が“想念”で生み出したものにすぎません。資本主義もたかだかここ250年ほどのシステムにすぎません。人類が少し進化し、システムがヒトビトにそぐわなくなれば、新しいシステムに更新されていくでしょう。これまでのプロセスも全て人間が望んだことと考えれば、私たちもいずれは資本主義でも社会主義でもない“第三の道”を生みだし、それを選んでいくんじゃないでしょうか」
先生の共著書
基本経済学シリーズ13『国際経済論』
出版社:八千代出版
具体的な講義やゼミの運営については「面白おかしいところだけをつまみ上げる時事放談で終わらない」が古川先生のモットー。全員が使うテキストも一般的な経済学部で使われるものと同じ。標準的なマクロ経済、ミクロ経済、国際経済学の勉強から始め、基礎を叩き込んでから一人ひとりの専門的な経済研究へと進んでいくという。
「スタンダードな、経済学部と同じアプローチが基本。どこの経済学部の基礎段階でもやっていることができていると思っています。講義では、必要不可欠な基礎理論と経済の実態や制度の基礎知識を習得し、「経済学の学び方」をそれなりに深く理解します。講義でも100人程度の人数で問題を解きながら進むので、一般的な経済学部の学生よりもかえってしっかりと基礎が身についていたりします。そしてゼミでは仲間とさらに専門的な経済問題を研究・議論し、本人の問題意識でテーマを選んで論文を書くことができる、いわば“コンパクト版の経済学部”です(笑)。ただ、経済学にはさまざまな分野があります。ここでそれらを全てカバーするのは難しい。聖心で展開されている専門領域は、国際経済学と開発経済学だけです。でも聖心の伝統と特色から言って、当面はこれで良いのだと思います」
ストレートで明瞭な言葉も古川先生の持ち味だが、自らの後輩にあたる学生たちへの評価は高い。
「皆、驚くほど集中力がありますよ。講義毎に出してもらうリアクションペーパーでは質問攻めです(笑)。それに逐一答えることで学生の関心や指摘もどんどん高度なものになっていき、とても楽しいです。キリスト精神を背景に『人の役に立ちたい』という気持ちも感じますし、そのために実学をしっかり学ぶ意欲もある。経済的に自立したいと考える学生もとても多いです」
大切なのは、学生自身が抽象的な経済学的知識を現実の世界につなげ、立体的に理解するきっかけづくり。こうなると興味も倍増するし、自分で考え始める。そこで大きな役に立っているのが、古川先生がテレビのドキュメント番組をDVDに撮り貯めた“古川コレクション”。経済、政治、文化、民族、環境、ITや科学技術まで、さまざまなテーマにわたるビジュアル教材も、知る人ぞ知る古川ゼミならではの教育ツールだ。
これからの計画を聞くと「21世紀の地球社会がどうなるのかを考察し、国際経済学の立場からその時代にマッチしたメカニズムを考え提案すること、それが私自身のライフワークだと思っています。資本主義の次が何なのかはまだまだ見えてきませんが、まず皆で議論することから始めたいですね」
講義ではレポート課題で学生一人ひとりの内面を見つめる自己分析も積極的に行っている古川先生。これは、就職活動にも役に立つし、来る知識経済社会に適応する人材養成としても効果がある。何より、自分の人生を自ら幸福に築き上げて行くための基本的姿勢だという。宇宙の摂理に従って最後に決断を下し、美しい選択をするのは一人ひとりの人間。その選択の積み重ねが美しい地球社会を作っていく。そんな想いが「経済学に愛を持ち込めたら本望」という言葉に凝縮されている。