聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
専攻 | : | ハプスブルク帝国史、ハンガリー史 |
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研究テーマ | : | ハプスブルク帝国の外務省と外交官、ハプスブルク帝国期ハンガリーの政治と知識人など |
研究論文 | : | 「マイヤーリングの悲劇とハンガリー人外務次官―皇太子ルドルフの書簡をめぐって―」『聖心女子大学論叢』第116集(2011年2月) 「ハプスブルク帝国外務省のハンガリー人―スジェーニ=マリッチの軌跡―」『歴史と地理 世界史の研究』222号(2010年2月) |
訳書 | : | スティーヴン・ベラー著『世紀末ウィーンのユダヤ人』(刀水書房、2008年) |
〔ガーデニング〕
ごく小さな鉢植えでもよいので、身の回りに植物を置いてみて下さい。写真は、「太陽光」という桜です。植えた時は小さな苗木でしたが、今では見上げるほど大きくなり、毎年たくさんの花をつけています。
先生の研究室に飾ってある、フランツ・ヨーゼフ皇帝と皇后エリーザベトの肖像画
「歴史を学ぶ楽しみは、日常では経験できない世界が開けること」と語る、桑名映子先生の専門は、ハプスブルク帝国である。
この国は15世紀以降、結婚政策をつうじて勢力を広げ、女帝マリア・テレジアや皇后エリーザベトら、女性が活躍したことでも知られている。
「ハプスブルク帝国は、現在のオーストリア、ハンガリー、クロアチア、スロヴァキア、チェコ、スロヴェニアにあたる地域を含む多民族国家です。さまざまの言語を用い、多様な文化や生活習慣をもつ民族が同居していました」
ハプスブルク帝国最後の皇太子オットーの葬列(ウィーン、2011年7月17日)
多言語環境の中で生きていたこの国の人々は、いわゆる国民国家の住民とは異なり、自らのなかに複合的なアイデンティティを備えていた。例えば、ハンガリー貴族の出身でありながら、ドイツ語を自在にあやつり、首都ウィーンで帝国官僚として活躍した人々は、どのように皇帝や周囲のオーストリア人と関わっていたのか。こうした日常の「異文化交流」のなかから、どのような社会や文化が育まれていったのか。それを読み解くことが、研究のメインテーマであるという。
「第一次世界大戦での敗北をきっかけに、ハプスブルク帝国は崩壊しますが、この国の成り立ちは現在のEU(ヨーロッパ連合)や、グローバル化の進んだ世界を先取りしたものといえます。日本に住む私たちには想像しにくい、多民族・多文化共存のあり方を理解できれば、国際社会でこれから日本が果たすべき役割について、見えてくるものがあるはずです。ハプスブルク帝国の歴史を学ぶことには、そうした意義もあるのです」
チェコ共和国ポベジョヴィツェ(ロンスペルク)にある、クーデンホーフ家の館
史料をたんねんに調査する作業は、歴史研究の基本である。研究文献を幅広く読むことはもちろん大切だが、従来の研究で明らかになっていない部分については、一次史料にあたって確認することが必要だ、と桑名先生は語る。
「これまでオーストリアとハンガリーの文書館を中心に、イギリス、ドイツ、チェコでも史料調査をおこない、19世紀末の外交官たちが本国に送った報告書や書簡類を読むことができました。これまでの研究では触れられていない、あるいは定説に合わない記述を見つけた瞬間には、研究者としての幸せを感じます」
ドナウ河畔のハンガリー国会議事堂
もちろん、文書館での史料調査だけが歴史家の仕事ではない。専門の近い海外の研究者との情報交換、意見交換は欠かせないし、歴史上の人物の子孫にコンタクトでき、直接の取材がかなったこともある。桑名先生は現在「クーデンホーフ光子」の夫であり、優秀な外交官だったハインリヒ伯爵について調べているが、夫妻の孫にあたり、現在もオーストリアで活躍している著名なジャーナリスト、バルバラ・クーデンホーフ=カレルギーさんに面会し、「歴史は生きている」ことを実感したという。
「講義では、歴史上のできごとに関する知識を伝えるだけでなく、研究に取り組む中で経験したことや、出会った方々についても話すように心がけています。学生のみなさんから、講義のあとで時々『楽しそうですね』と言われますが、ただ暗記するのでなく、探求する歴史の楽しさを少しでも感じてもらえたらと願っています」
「ゼミではハプスブルク帝国や東欧だけでなく、ドイツ、イギリス、フランス、ロシアなどについての文献も読み、国際比較の視点を忘れないようにしています。アメリカ留学中にプレゼンテーションの大切さを学んだので、集中的に指導し、学生たちの上達を見るのが楽しみです」