聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 近代以前の西アジアにおいて、言語や文化の異なるさまざまな民族集団がどのように一つの国家を作り上げていたのかを研究しています。 |
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著書・論文 | : | 「第2次大戦期イランにおけるクルド・ナショナリズム運動-クルディスターン復興委員会の活動とその限界-」『日本中東学会年報』第9号(1994年) 「1945年の世界:中東」歴史学研究会編『講座世界史8:戦争と民衆-第二次世界大戦』東京大学出版会、1996年 「オスマン検地帳に見る18世紀初頭イランの地方社会 (1) −イラン西部アルダラーン地方の農村と遊牧民社会−」『東洋文化研究所紀要』第140冊(2000年) 「現代トルコの国民統合と市民権―抵抗運動期から共和国初期を中心に―」酒井啓子・臼杵陽編『イスラーム地域の国家とナショナリズム』(イスラーム地域研究叢書第5巻)東京大学出版会、2005年 「クルド:クルド語とクルド人アイデンティティ」松井健・堀内正樹編『中東』(講座 世界の先住民族−ファースト・ピープルズの現在−)明石書店、2006年 「シャー・タフマースブの対クルド政策」『上智アジア学』25号(2007年) 「離散と越境のクルド人」駒井洋(監修)・宮治美江子(編集)『中東・北アフリカのディアスポラ』(叢書グローバル・ディアスポラ3)明石書店、2010年 |
『タッチ・オブ・スパイス DTSスペシャル・エディション』
監督/脚本:タソス・ブルメティス
DVD発売中
税込価格:¥4,935
発売元:AMGエンタテインメント/フルメディア
販売元:ハピネット
(C)2003 Village Roadshow Productions Hellas S.A.
20世紀中頃、古くからイスタンブル(コンスタンティノープル)に暮らしてきたギリシア人たちが、トルコ=ギリシア関係の緊張のために、ギリシアへと追放される。それでもコンスタンティノープルに対する強い望郷の念を抱き続ける姿が、みずからギリシアへと移住した少年の目から描かれる。
『ペルシャ猫を誰も知らない』
監督:バフマン・ゴバディ
税込価格:¥5,040
発売元:シネマクガフィン
販売元:紀伊國屋書店
イラン革命(1979年)後のテヘランで、ロックなど欧米の音楽が規制されるなかで、実在のミュージシャンたちの密かな、そしてたくましい音楽活動を追っている。
『オフサイド・ガールズ』
監督:ジャファル・パナヒ
発売日: 2008/05/23
税込価格:\3,990
発売元:新日本映画社
販売元:ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント
女性がサッカー場に入るのを規制する革命後のイラン社会で、男装して潜り込んで捕らえられた女性たちを通して、イラン社会を風刺する。
史学科 東洋史の分野で西南アジア史を担当する山口昭彦先生。先生がいま専門に研究されているイランや中東地域に関心を持ったのは高校生のころだった。
「ちょうどパレスチナ問題(パレスチナ住民の犠牲の上に建国されたイスラエルに対するパレスチナ住民の抵抗運動とそれを巡る国際紛争)やイラン革命(1979年にパフラヴィー朝が倒れ、イラン・イスラム共和国が成立した事件)に世界の目が注がれていた時代でした。テレビに映し出される現地の映像に興味がわきました」
大学に進みアジア史研究を志した山口先生は、2年のときに現在の研究につながる出会いを経験する。
「ユルマズ・ギュネイ監督の『路』というトルコ映画を観ました。1980年のクーデター直後のトルコ社会を舞台にした作品で、刑務所から仮釈放された囚人たちがそれぞれの故郷をめざす姿を描くことで当時のトルコ社会の矛盾を活写したものでした。そこに描かれたトルコ東部(クルド人が多数居住する地域)の情景がとりわけ印象に残りました」
クルド人とは、トルコ、イラク、イラン、シリアなどの国境付近にまたがって住む「少数」民族を指す。第1次世界大戦後、各国で多数派民族を中心に同質的な国を作ろうという動きが強まるなか、少数派となったクルド人たちは自治要求運動を展開し、そこに周辺の国々や欧米諸国が関与することでたびたび国際紛争が起こってきた。山口先生は、大学3年のときには実際にトルコに行き、クルド人が住む地域を訪れている。先生はこの後、卒業論文でイランのクルド人たちの自治要求運動を取り上げている。大学院に進んでからは、トルコだけではなく、イラク、イラン、シリアのクルド地域も訪れながら、次第に近代以前の歴史にも関心を広げ、とくにサファヴィー朝(1501-1722)時代のイランのクルド人たちが政治的にどのような状況におかれていたのかへと興味が移っていったという。
「サファヴィー朝時代をクルド人という存在を通して捉え直してみようと思いました。現代でなく前近代のクルド社会の歴史を扱った研究は世界的にみてもいまだ少なく、だからこそオリジナリティが発揮できると思いました。また、現在のクルド人問題も、歴史的背景を知ることでより的確に理解できるだろうと思ったのです」
さて、それでは山口先生が研究されているサファヴィー朝の世界を見てみよう。300〜500年前の王朝は、現代とどんな関係があるのだろうか。
「サファヴィー朝はいまのイラン(面積は日本の4.3倍)よりさらに広大な領域を支配していました。交通や通信手段が限られた時代にクルド人などさまざまな民族集団をどのように統治していたのかに興味をもっています。政治的な安定を得るうえで当時最も重要だったのは、各地にあった有力集団をいかに宮廷に結びつけるか、でした。クルド系の豪族に対しても、それぞれの所領の統治権を認める代わりに忠誠を誓わせました。また、これら豪族の子弟を宮廷に集めて教育し、王の近くに仕えさせて忠誠心を養う仕組みもありました。」
広大な領土に多民族。何やらいまのイランも同じ事情を抱えているような気がするのだが。
「この点に関して面白いのは、トルコやイラクなど第一次世界大戦後にできた国々と比べて、イランのクルド人問題がそれほど深刻化していない、ということです。この背景には、イランという国の枠組みがサファヴィー朝時代に作られ、それ以降、王朝がかわっても、多様な民族的出自をもったものたちが政治に関わることができるという経験が積み重ねられてきたことがあるように思います。このこと一つとっても、現代中東の政治や社会を考えるうえで、歴史的な視点が大切だということを強く感じます。また、多民族国家だと紛争が起きやすいと思われがちですが、過去においても、そうした紛争を避けるような仕組みがさまざまに工夫されていたことにも目を向けるべきでしょう。いまはサファヴィー朝時代を中心に研究していますが、将来的には現代までの長い時間のなかでクルド社会と国家との関係がどのように変化したのかを探っていきたいと思っています。」
山口先生をそこまで夢中にさせる歴史研究の魅力とは何なのだろうか。
「一つは、歴史学が“世界中で自分しか知らない”事実を発見する可能性がある学問だということです。研究活動では、現地を訪れ公文書館や図書館で調べるのはもちろんですが、知人を頼って旧家に伝わる文献を見せてもらう場合もあり、“誰も知らない史料”と遭遇するよろこびもあります。また、対象領域と時代は狭いのですが、さまざまな時代や地域の研究者と共通するテーマがあり、互いに比較しながら議論し合える点も醍醐味ですね」
一見、狭い研究領域が、実際には時代や地域を越えて互いに結びつく面白さが、山口先生の研究意欲を支えているのだろう。
山口先生のゼミでは「中央アジアやインドから中東やアフリカまで、どの時代や地域を扱ってもいい」とご自身が言われるほど、テーマが広い。もちろん時代は古代から現代まで、テーマも政治から美術まで自由だ。ちなみに昨年は、現代トルコにおけるイスラムのあり方や7〜8世紀のアラブの建築を扱った卒論が提出されている。毎年様々なテーマについての卒論が提出されるが、なかには在学中の現地体験をもとに書いたものや原稿用紙300枚を越える大作もあったという。
西南アジア史という時間的にも空間的にも巨大な研究領域に挑むことは、学生にとってどんな楽しさがあるのだろうか。
「一つは意外性があるということです。たとえば、中東は紛争やデモなど争いばかりしている危険で後れた地域と思われるかもしれませんが、実際には長い歴史を通じて多様な民族・宗教集団が共存を図ってきた地域であり、そうした多様性の中から高度な文明を発展させてきました。こうした歴史に触れることで、この地域に対するわたしたちの硬直した見方を反省し、視野を広げるきっかけになります。当たり前のことですが、中東地域の人々もわたしたちと同じく日常生活を営み、同じ現代を生きています。かれらも最新式の携帯電話を使っていますし、インターネットを通じて互いにコミュニケーションをとっています。ツイッターやフェイスブックが社会や政治を変える大きな武器になっているのも、報道されている通りです。
二つ目は、欧米と日本だけの関係から国際社会を見がちな日本人が、見落としそうな事実を見る目が養われます。中東やインドを旅したり学んでみてはじめて分かることは意外に多いのです。とりわけ、中東やインドを含む広い世界で人やものがどのように動いているかを実際に目にすることは、世界の政治や経済の動きを知る上で非常に大切なことです。また、これらの地域の人々が日本をどのように見ているかも、わたしたちの将来にとってぜひ知っておくべきだと思うのです。」
山口先生の指摘のどおり、日本人にとって中東諸国の国内事情や、まして歴史などは遠い存在だ。しかし、この地域には世界の歴史の舞台で脚光を浴び続けただけの面白さが確かに存在するのだと思った。